片道2時間の長距離通勤をしているヨシヒロです。どうもどうも〜
僕はある意味「変人」です。なぜかって、片道2時間もかかる距離を毎日通勤していると言うだけでも変人扱いしてくれる人もいますが、そんな片道2時間の通勤生活をある意味楽しんでいるのですから、自他共に認める「ザ変人」です。
それならばどこまでも突き抜けてやろう!と、最近は通勤電車内で通勤の歴史を研究しています。現代人にとっては日常風景であり、無くてはならない行為となっている「通勤」ですが、そもそもなぜ通勤が始まったのか?どこで始まったのか?最初に通勤をした人はどんな人なのか?そんなことを研究しています。
今回はそんな研究の過程で知った世界の「危険な」通勤電車をご紹介します。これを知ったら日本の通勤電車は恵まれていると思える・・・かもしれません。そうすれば、毎日の通勤も少しは気楽になるかも?
そして、日本人も世界の人も、なぜそこまでして「通勤」をするのか?という人間の心理について考えてみます。
目次
毎日10人の死者が出るインドの超満員路線「ムンバイ近郊鉄道」
ムンバイ近郊鉄道は、インドがイギリス領だった1853年に大インド半島鉄道という名称で敷設されたアジアで最初の鉄道と言われています。
この写真を見ただけでもその異常な乗車密度が分かりますが、数値で見るともはや恐ろしささえ感じる鉄道であることがわかります。
ラッシュ時の人口密度は計算上、1平方メートルあたりに16人が乗っている計算になるようです。たったの1メートル四方に16人て・・・そりゃ屋根とかに乗りゃそういう計算結果になるのかもしれませんが・・・
そしてもっと恐ろしい数字は、10年で3万6千人あまりの人が鉄道事故で亡くなっているということ。1年で約3600人。1日に約10人・・・多くの場合は線路横断時に電車にひかれる事故だそうです。
ちなみに日本の鉄道事故死亡者数は内閣府の資料によると、年間300人前後で推移していますので、インドの鉄道死亡事故死者数は日本の10倍近くになります。いや、この路線以外での死者数も含めたら10倍どころじゃないのかも・・・
そんな危険なムンバイ近郊鉄道ですが、毎日700万もの人を運びながら、雨季でも定時運行率97%という驚異的な数字を出しているそうです。
・・・まったく、インドの鉄道には驚きしかありません。
ジャカルタの屋根乗り客を撃退するコンクリートのカーテン
インドネシアのジャカルタを走る列車も超満員電車として知られています。こちらでも、屋根の上に乗る無謀な乗客はいるようですね・・・
鉄道運営側はそんな危険な乗車を繰り返す乗客に対しある“撃退策”をおこなっているそうです。それはなんと、コンクリート球を線路上部に吊るすというもの。
屋根の上に乗車すること自体信じられない危険な行為ですが、一方でそんな乗車をやめさせる方法がコンクリート球を吊るすという・・・これまたなんとも危険な対策です。
このコンクリート球がぶら下がっていることを知らずに屋根の上に飛び乗った乗客は一体どうなってしまうのでしょうか・・・考えただけでもゾッとしますね。
なぜそこまでして通勤するのか?
さて世界のとんでもない通勤事情を見てきましたが、そもそもなぜ人はそこまでして通勤をするのでしょうか?そんな超過密列車に乗ってまで通勤する人間の心理を考えると、なかなか興味深いものがあります。
人が通勤する理由は大きく3つあると考えられています。一つ目は通勤することでより報酬の高い仕事が得られるから、二つ目はより良い家に住めるから、そして三つ目は毎日出かけたいという自然な(習慣的な)心理が働くから、です。
通勤により報酬の高い仕事が得られる
通勤という文化の始まりは鉄道の発達と共にイギリスで起こったものですが、鉄道が普及し始めた当時、通勤は上流階級の文化でした。
産業の中心である都市部は住環境がとても悪かったのです。でも、お金持ちは電車の切符を買うことができるので、都市部から郊外へと居住地を移すようになっていきます。
すると自然に、郊外から通勤する人はお金持ちの上流階級、通勤しない(仕事場に歩いていけるような)都市部に住む人は労働者階級の貧しい人々という構図が出来上がります。
逆に言えば、農村や郊外に住んでいても移動する手段を持っていれば、それだけ職業選択の幅が広がることになり、報酬の高い仕事にありつける確率も上がるというわけですね。
インドやインドネシアで見られる超満員電車の原因は、ほとんどこれに起因するのではないかと思います。
通勤者はより良い家に住んでいる
上にも書きましたが、通勤という文化が生まれた頃、都市部よりも郊外の住居の方が環境が良かったのです。現代は都市部も人が住める環境ではありますが、やはり郊外の広い土地で、自然に囲まれていて・・・という風景を、人間は心のどこかで求めているのでしょうか。
産業の発展とともにイギリスで鉄道が開通した当初、鉄道に乗って通勤できるのはお金持ちの上流階級の人間で、都市部で働き暮らす労働者階級の人間にとっては通勤すること自体が憧れの行為だったのです。
郊外の邸宅に暮らして仕事のために通勤する・・・逆に言えば、通勤できる人は郊外の良い環境の家に住める、だから人々は「通勤したい」という思いを持っていたのです。
人間は静より動を求める生き物である
人が通勤をする理由の3つ目として、人間はそもそも静より動を求める種であるということが挙げられます。人間はもともと狩猟採集をする生き物ですが、農耕生活が始まると特定の地に定住するスタイルへと変化していきました。
でも、鉄道など新たな技術革新によって長距離移動が容易になると、人間の中に眠っていた狩猟採集の血が騒ぎ始めたのではないか?とも考えられます。
動物に槍を投げたり弓を放ったりすることはほぼなくなりましたが、獲物(仕事で得られる報酬)に向かって移動し、そこで獲物(報酬)を得るという、人間本来の行動様式に戻ったとも言えます。
おわりに
こんな風に、なぜ人は通勤するのか?ということを歴史を遡りながら考えてみるのも面白いです。
日本だと、満員の通勤電車に毎日乗ることが馬鹿げているような感覚に陥る人が多いと思いますし、通勤自体が無駄な行為であると思われていますが、もしかすると必ずしもそうではないかもしれません。
通勤は無駄だと言われる世の中で、私みたいに好き好んで毎日4時間も移動している人間もいるわけです。自分の考え方と、通勤時間の過ごし方、そして人間本来の営みとして、「人にとって通勤は必要なものだ」という考えに思い至っても不思議ではありませんね。
ということで今回は、世界の危険な通勤列車と、そんな通勤列車に乗ってまでなぜ人は通勤するのか?というお話でした。ちなみにこの話は、以下の本を参考にしています。自分の通勤あるいは働き方のスタイルについて考えてみようと思ったら、ぜひ一度読んでみてください!
最後まで読んでいただきありがとうございました。